
大本教の出口王仁三郎は、出口家に婿養子として入る前は、 上田喜三郎と言いました。
「喜」を「王仁」にしたのは、王仁 = 鰐族 = ユダヤ人レビ 族 = 李家 に関係しています。
仁徳天皇が皇位についた事を喜んで、渡来した百済の王仁が、 梅花に和歌を添えて、奉ったと伝えられています。
この花は、梅の花の別名です。(李家=梅でつながります。)
大阪には、この和歌に因んだ 此花区 が存在するように、 河内、和泉を中心に、王仁に関する伝承が多く残っています。
河内周辺には、王仁を信仰する人が多く、時を経ることにより伝説があたかも事実であるかのように伝えられました。
枚方地域には、自分たちが王仁の子孫だと思っている人たちも多いとのことです。
https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/004.html
大阪府史跡 伝 王仁墓
この墓は、京都の儒学者 並川五一郎(誠所)が、王仁がここで死んだなどと言う確証はないのに、伝聞と伝承で強引に墓にしてしまったものです。 大阪府はそれを知っているので、「伝王仁墓」と「伝」を強調しています。
枚方招提村の家村孫右衛門が、王仁を顕彰するため 有栖川宮幟仁親王 の筆による「博士王仁墳」の碑を建立しました。
有栖川宮幟仁親王は、出口王仁三郎の祖父です。
嵯峨野にある有栖川は、禊に使われていました。
嵯峨野が平安初期に旧百済王家(=桓武朝)の拠点となった所縁で、百済最初の首都だった慰礼城(ウィレソ)のそばを流れる阿利水(アリス「禊の川」の意味で、現在は漢江)に因んで名付けられたようです。
https://blog.goo.ne.jp/sophia_h/e/0ab4be93b891759fd20879e7f1312db3
有栖川と有栖川宮との関係は分かりませんが、王仁も百済から渡来したということで、何かしら繋がりが感じられます。
有栖川宮は、神道と深く関わっていました。

枚方市の「王仁の墓」と「けいはんな学研都市」「スマートけいはんなプロジェクト」(京都府精華町、木津川市)は、近距離にあります。


出口王仁三郎は、源義経(チンギスハン )と同じように、世界征服を目論み、モンゴルへ行って、新しい国を建国しようとしました。
それが「満州国」です。
出口王仁三郎は、満蒙の地は「こしの国」である、と述べています。
王仁三郎は、「王仁」の子孫でもあり、「こし」の子孫でもあるようです。

こし=高志=越(8世紀以降)
越国(こしのくに)は、現在の福井県敦賀市から山形県庄内地方の一部に相当する地域の、大化の改新以前の日本古代における呼称である。その後、7世紀に設けられた地方行政区分としての「国」に引き継がれた。当時は高志国と書かれ、越国は8世紀以降の書き方である。のちに令制国への移行に際して分割され、越後国・越中国・能登国・加賀国・越前国となった。越州(えっしゅう)・三越(さんえつ)などの地域名称の語源である。
東大寺大仏造営事業に携わった「行基」は王仁氏の子孫とも云われていたが、この由緒に拠れば、百済崩壊に伴い大和朝廷に亡命した百済王族の末裔で、「本名は高志」と言い、先祖は「高志国」の出身とも云われています。
越は、ヤマタノオロチの出身地です。(古事記)

古代の「高志の国」は蝦夷と呼ばれた蛮族が住み、出雲の天照大神の弟の素戔鳴尊(スサノオノミコト)は「高志之八俣遠呂知」の伝説に知られる様に、高志の国の八頭八尾の怪物を退治したと伝わっています。
出雲政権は大軍を率いて高志の国に入ったが、高志の国はこれを恐れて国を出雲に明け渡したとされています。
その後、大和朝廷は蝦夷討伐と称して「高志の国」を出雲政権から奪い取った様です。
RAPT理論で「ヤマタノオロチ」は、「秦氏 」と暴かれました。
「こし」=「秦氏」が「出雲族」と戦って退治された後、「大和族」がこの「秦氏」を重用しました。
「秦氏」はもともと「出雲族」でした。
「出雲大社」の本殿には、「八雲之図」には七つの雲しか描かれていません。
その抜け落ちてしまった「一氏族」こそ、「秦氏」だったのでしょう。
天皇神器の一つの「天叢雲剣」(あめのむらくものつるぎ)は『高志之八俣遠呂知』(こしのやまたのおろち)の尾を切り裂いた時に出てきた宝剣と云われ、神器の一つの勾玉の原料の「翡翠」は富山県と新潟の県境の姫川渓谷から採れました。
http://www.eonet.ne.jp/~temb/5/kika_2.htm#7
https://ameblo.jp/uoonson412/entry-12508976572.html
古代(1万2000年前)富山に世界の首都があったそうです。
翡翠の勾玉は、オーパーツの一つです。
勾玉の穴は、電動ドリルがないと開かないということです。
文氏=越人=王仁の子孫=ユダヤ人レビ 族=李家
統一教会 文鮮明も 文在寅大統領 も、南平文氏で、南平文氏の始祖は高麗の功臣・文多省(ムン・タソン)で、先祖が岩穴から生まれたという神奇な伝承を持っています。
百済から倭国へ遣わされた王仁の子孫に、文氏がいた史実があります。
文宿祢(ふみのすくね)、文忌寸馬養(ふみのいみきうまかい)(河内の文氏)
http://korea-np.co.jp/sinboj2001/12/1221/62.htm
文氏も越人とされています。
http://www.eonet.ne.jp/~temb/5/kika_2.htm
大本教と統一教の教祖は、ユダヤ人レビ族でした。
だからこそ繋がっているんですね。
イルミナティ 李家 が1日でも早く滅びますように。