古代の頃、倭国と百済は友好関係があったとされていますが、新羅とも交流があったようです。
倭国内部も一つではなかったのですね。


https://chitonitose.com/jh/jh_lessons17.html
4世紀から6世紀の新羅は、中華文明との接触が間接的で、ローマン・グラスなどのきらびやかな出土物から「ローマ文化王国」であった、と見ることができます。
新羅古墳の出土物は、他にも黄金剣、純金のイヤリングやバックル、そして馬具類など、西方の香り高いものばかりなのですが、翡翠の勾玉だけが異色です。
硬玉翡翠 は世界的にも珍しく、ミャンマーの奥地と新潟県糸魚川にしかありません。
縄文時代から、糸魚川産硬玉翡翠の勾玉が生産され、越の国(新潟県)から出雲に至る日本海沿岸で流通していました。
翡翠の勾玉 が 新羅 にもたらされ、そして列島には、ローマン・グラスやトンボ玉、そして黄金の装飾品が、新羅から渡って来ました。

翡翠は、シャーマニズム、すなわち 悪魔崇拝 に使われていたと思われます。
悪魔崇拝たちは、古代ローマのキリスト教に悪魔教の要素を混入し、様々な所に広げて行きました。
http://rapt-neo.com/?p=3081
キリスト教がミトラ教から誕生したという大嘘。ミトラ教は悪魔教であり、悪魔崇拝者たちが悪魔教の要素をキリスト教に混入していったのです。
きらびやかな 冠 が、群馬の豪族 の古墳 からも出土しています。
群馬は、古くから、悪魔崇拝が行われ、それがJAL123便の生け贄儀式につながります。

JAL123便を撃墜して520人もの乗客を殺した「国常立尊」とは何者なのか。3.11と御嶽山噴火にもなぜか垣間見えるこの神の正体。
北関東は、大和朝廷の北限に位置しており、防御の意味も兼ねて、馬の飼育、養蚕と機織り、瓦、焼き物、製鉄やその他の金属鍛冶など、大和朝廷が欲しかった進んだ文化を持っていた新羅の人たちをこの地域に住まわせていたようです。
奈良の古墳 からもローマン・ガラスの皿が見つかっています。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&m=358439
白村江の戦い(663年)は源平合戦のルーツ?
白村江の戦い、すなわち 唐 と 新羅 の連合軍 V S 百済 と 倭国 の連合軍、の戦いは、
唐と 新羅 が勝利して、百済 が滅亡した!と 教科書 にも書かれていますが、
鹿島昇説 では、唐 と 新羅 が 百済 を滅亡させた後に 朝鮮半島 を支配し、
次に列島に上陸して 倭国 も滅ぼし、列島に「 天皇 」という称号が誕生し、「日本」という国号に変わったということです。(670年)
新羅 の 文武王( 金法敏 =40代 天武天皇のモデル)の息子の 金霜林 が 百済 を滅ぼし、九州まで攻めて来て、金霜林 の息子の 金良琳 が、初代の天皇 となりました。
天皇は「古代から日本を支配していた」と歴史を捏造してきましたから、金良琳 は「42代 文武天皇 」に改竄されています。
そして、実質的に天皇を操り、日本を支配したのは、唐 から来た「藤原氏」でした。
唐 を支配していた 李家 は今も 日本 を支配しています。
【安倍晋三は李家】日本を支配する在日の正体「李家」。憲法改正は李家復権のため!!
藤原不比等 は、唐 に習い、日本を中央集権的な国家にするべく政策を進め、デタラメ日本書紀 の編纂に関わりました。
2019年5月3日、藤原氏の氏寺としての歴史を持つ 興福寺(奈良市)は、氏神の 春日大社(同)と合同で、律令制度を確立した飛鳥~奈良時代の政治家、藤原不比等(659~720年)の1300年御遠忌式 を 同寺中金堂前庭で行いました。
南朝は 百済系天皇、北朝は 新羅系天皇!
新羅 が内紛・崩壊し、日本に逃亡していた 百済 の王族が、クーデターを起こし、天皇になった初めての 百済系天皇 が50代の 桓武天皇 です。
天皇は南と北の南北朝に分かれますが、
北朝は新羅系、侵略者が起源 源氏 →出雲族
南朝は百済系、亡命者が起源 平氏 →秦氏
朝廷という言葉の本当の意味は、「朝鮮の宮廷」という意味で、朝鮮人から天皇が始ったことを意味しています。
古事記や日本書紀の歴史は、日本の歴史ではなく、朝鮮古代史から盗んだもので、その朝鮮古代史も唐や隋の歴史から盗み、唐や隋の歴史もどこかの国の歴史を盗んでいたとか…。
イルミナティカードに「歴史偽造」のカードがあり、シオンの議定書にも「歴史は偽造されるもの」と記述されていますね。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=333930
桓武天皇の子孫から「桓武平氏」

その6代後の清和天皇から「清和源氏」

いずれも、皇子が関東地方に居住する朝鮮系の人を「武士団」として結集し、その棟梁となりました。
秦氏の平氏は、百済系が結集し、出雲族の源氏は、新羅系が結集しました。
秦氏の平氏と百済人は「赤」を、出雲族の源氏と新羅は「白」をシンボルとしました。
その後、源氏に勝った北条氏は、平氏(平直方の子孫を自称)
それを打倒した新田、足利は、源氏(源義家を祖とした)
織田、豊臣は、平氏を自称
徳川は、源氏を自称
この順番からいくと、明治維新の勢力は、秦氏 平氏系(百済系)
そして平氏系(百済系)はどちらかというと西国、源氏系(新羅系)は東国に根拠地があるようです。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=266891
朝鮮半島の東側の新羅から東へ船を漕ぎ出せば、出雲、丹後半島、能登半島あたりに着きます。すなわち、古代の出雲、丹後半島、越の国あたりは新羅とつながっていた、と思われます。
