明治政府は「王政復古」「祭政一致」の理想実現のため、神道国教化の方針を採用し、それまで広く行われてきた神仏習合を禁止するため、神仏分離令を発しました。

しかし本当の目的は、税金徴収のため、寺が管理していた戸籍原簿や租税台帳である宗旨人別改帳を手に入れることでした。
天皇=神道で、資金の流れを神社に一本化する目的で、寺や仏像をぶっ壊したのです。
前代未聞の弾圧でしたが、僧侶たちの多くは、神主へ鞍替えしたり、軍人に姿を変えました。
例えば現在の奈良国立博物館、奈良県庁、奈良地裁や奈良ホテルなどは興福寺の寺領に建っています。影響はシカにまで及び、シカ狩りが行われ、すき焼きにされて食べられていました。
徳川家の菩提寺・増上寺も寺領を大幅に減らし、芝公園や東京プリンスホテルなどができました。ただ尊王攘夷の西本願寺には政府は手を出しませんでした。https://youtu.be/q_My1pbUhUU
幕末の京都の町は、近代的統一国家を目指す志士たち の論争の場となり、論争は武闘をはらんで広がり戦場となりました。戦火は町の三分の一以上を焼失させました。さらに東京遷都により、京都の街は著しく衰退しました。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/rcmcjs/7/0/7_0_3/_pdf
そんな京都を甦らせ、現在の京都の礎を築いた中心的人物は、木戸孝允に重用された長州藩出身 第二代府知事 槇村正直 です。

「非科学的である」との理由で、五山送り火をはじめとするお盆の諸行事が禁止されました。
天領(幕府直轄領)、藩所有地の大部分が新政府に奉還され、寺院も主たる領域を除いてすべて召し上げられました。土地への依存度が低かった日蓮・曹洞・真宗の打撃は少なかったようです。
上地された土地は民間の手に渡り、現在の観光名所 新京極通、祇園のお茶屋街 花見小路が誕生しました。花見小路の歌舞練場では「都をどり」が開催され、槇村は作詞を担当しました。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=104558
仏具を利用して、京都の東西を結ぶ交通の要衝 四条大橋が、鉄橋に生まれ変わりました。また学校が創立されました。

鉄材はすべて府立 伏水製作所の提供である。
槇村が特に重用した 精密機器総合メーカー島津製作所 島津源蔵は、仏具製造から国策の中枢を担う理化学メーカーへと事業転換、医療用品が内国勧業博覧会で褒賞を受賞、二代目は蓄電池を事業化し、GSユアサの源流になりました。
島津製作所は、17代 島津義弘から家名と「丸に十」の家紋が与えられました。島津家に関しては、http://rapt-neo.com/?p=32234 をご覧ください。
1871年に三井八郎右衛門(三井財閥の総領家)・小野善助(豪商「小野組」のオーナー)・熊谷久右衛門(鳩居堂)の3人の主催、京都府が後援の形で、日本で初めての博覧会が西本願寺を会場に開かれました。

槇村は、外国人医師を招き、 府立病院を開設するなど医療、特に性病や伝染病予防に力を入れ、現在の京都学派の医学発展に大きく寄与しました。

1872年青蓮院旧宮邸で病院と付属医学校が外国人医師や教師を招いて開院・開校。
左上:ショイベ(ドイツ) 左下:マンスフェルト(オランダ)
右上:ヨンケル(イギリス) 右下:ルドルフ=レーマン(ドイツ)
現在の京都府立医科大学
https://plaza.rakuten.co.jp/nishiono/diary/201805020004/
「神仏分離令」に続いて、全国17万人の山伏達に修験道廃止令を発しました。
http://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=3632091
天社禁止令で陰陽師はその存在を禁止されることになりました。
廃仏毀釈の終息は、浄土真宗の新政府への多額の献金を含めたロビイ活動も多分に影響しました。その後は寺院再興の機運が高まり、人々は急激に檀家の枠組みに戻っていきました。
廃仏毀釈は後から見ると一体何だったのか、と不思議に思える出来事です。
結局日本を支配するユダヤ人李家のクーデターであった、ということになります。取るものは取り、都合の悪いものは排除し、元に戻したように見えます。浄土真宗の存在も多々感じられます。
現在、寺院を取り巻く環境は、かつての廃仏毀釈のように僧侶への反発が見受けられます。葬式や法事を行うだけの存在は、消えて行っても不思議ではありません。
⇨ 神道も仏教も神様に反逆したユダヤ人が作った悪魔崇拝です。
明治天皇(大室寅之助)は崩御のとき、「心残りのことは、即位式を仏教の大元帥の法によって出来なかったことである」と述べたと言われています。天皇ですら神仏分離政策には逆らえなかったのです。
明治の権力者は、紙幣になったり、国会議事堂中央広間の銅像になった人達のようです。




悪なる為政者は、繁栄をもたらし、人々のためになるようなことをしているように見えても、影で地位や名声や利得を求め、人々を堕落させたり、害を与えたりして支配してきました。
悪なるものは、忌み嫌われ、いずれ消え行く運命にあります。
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参考文献
